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ふいにドアが開いて、まだ髭の生えていない青年が入ってきた。軽く礼をして
王子の名代に対する礼儀を示した。
「陛下がお会いになるそうです。こちらへ」
青年の後について暗く奥まった王宮の廊下を歩きながら、直江は内心かなり驚いていた。
訪問の約束をとりつけた王子達でさえ、国王の当日の容態や眠っていることなどを理由に
面会を断られることがあるのだ。名代にすぎない直江が面会を許されるのは、ハマドが
病床についてからこれがはじめてのことだった。
シーツを抱えた召使達が忙しく行き来している。だがいかんせん病人のいるところだ。
人はいてもどこかしら暗く淀んだ、沈鬱な雰囲気はぬぐわれなかった。迷路のような
王宮の最奥に、王が伏せっている寝室はあった。天蓋から下げられた薄布ごしに、
半身を起こしている国王がいた。
「国王陛下には本日は御機嫌もうるわしく――」
恭しく一礼し、どこか白々と響く口上を述べはじめた直江を、ハマドは手を振って遮った。
「ザイードはどうしておる」
「は…相変わらず城内にこもっておりますが、つつがなくお過ごしになっております」
あらかじめ人払いをした室内はしんとなった。ハマドは紗の向こうでしばらく沈黙して
いたが、やがて重々しく口を開いた。
「――わしはもうじき死ぬ」
淡々とした口調だった。
「皇太子は定めぬ。立てても立てなくてもおそらく結果は同じだ。ここでは力あるもの
だけが生き延びる。そして王になるのはわしの血筋とは限らない…たぶんそれが
正しいのだろう 。わしの父も簒奪によって王位を手にした」
「…」
「おまえはどうする。このままザイードを王位につけるか」
端から聞けば、ひどく不穏な発言だ。臣下にクーデターを唆しているようにも聞こえる。
だが直江は眉ひとつ動かさなかった。
「さ…アッラーの思し召し次第というところでしょうか」
感情を伺わせない直江の返答に国王はふむ、と息をついた。
「…少し疲れた。行って、おまえのなすべきことをするがいい」
衣擦れの音がして、王が横になる気配がした。
もう二度と会うことはないだろう。
退出の礼をとり、部屋を出ていこうとしたその時、王は初めて名を呼んだ。
直江、と。
直江は一瞬表情を強張らせ、静かに振り向いた。薄布ごしに、国王がじっと直江を
見つめていた。
「おまえは、わしを、恨んでいるか――?」
一瞬の間をおいて、直江は薄く微笑んだ。そして再び、恭しく礼を取る。
「とんでもございません、陛下」
それが、答えだった。
ロールスロイスの最後部に乗り込み、王宮を後にする。
(あの刺客はおとなしくしているだろうか)
今日は王宮に出かけることがわかっていたため、昨夜から今朝にかけては殊更
手酷く扱った。足腰立たないどころか、ベッドから起き上がることすらできない
はずだ。それでも念を入れて手足を鎖に繋いできたが――
なんとなく胸騒ぎを覚えながら、王子の部屋に向かう。いつもの私室は直江が占領して
いる為、「安全のため」と称してしばらく部屋を移ってもらったのだ。
「ただいま戻りました――王子…?」
返事はない。いつもいる警備の者が一人も立っていないというのも気になった。
だが、ドアを開けたときにその理由を悟った。入り口のすぐ側で二人、胸から血を流して
絶命していた。いずれも短剣で一突きだ。
部屋の真中に、小太りの男があおむけに倒れていた。
直江の表情がみるみる硬くなる。
「王子!」
かけよって首筋に指を這わせたが、脈を確かめるまでもなく男は冷たくなっていた。
その表情は眠っているように安らかだ。だがそこにはもう命の火はない。
直江は部屋を飛び出し、王子の私室に駆け込んだ。普段沈着冷静なこの男らしからぬ
慌てぶりだ。だがそんなことにかまっている場合ではなかった。
ドアを開けたすぐそばに、やはり見張りが二人殺されていた。先刻の二人と同じ手口で、
やはり一撃でやられている。長剣を抜き、用心しながら寝室のドアを開けた。奥にある
寝台には、昼間も光は届かない。
足が何かに当たった。手近にあるランプを灯してよくみると、高耶の世話を頼んだ
召使の少年だった。身体は暖かい。どうやら気を失っているだけのようだ。
奥の寝台には、ベッドの柱に繋がれた鎖だけがシーツの上に放り出されていた。
まるで直江を嘲笑うように。
(やられた――ッ!)
遠くで誰かが騒いでいる。
震える両の拳を硬く握り締め、直江はただ凝然と、空のベッドを睨みつけていた。