15


 

 

「ハット、ハット、ハット――!」

ラクダと人が入り乱れた場所二もうもうと砂塵が舞い上がる。かなりの速度で移動するそれは、
まるで砂嵐が来ているかのようだ。100頭以上のラクダが暴走していても下が砂なので音は
あまりしないが、男たちの掛け声と鞭を振るう音、「闘い」の喧騒や熱気が少し離れたこちらまで
伝わってくる。

ラクダレースは、人々の乗り物が車になった現代でも毎年催されている、男たちの熱い競技だ。
要するにラクダに乗ってここから50kmほど離れたオアシスを回り、城のを取り巻く迷路のような
ワディ(昔の川床)を抜けて一番早く城に戻ってきたものが優勝する。だが単に速さを競うだけ
ではない。自分の行く手を阻むものを次々とひきずりおとしてライバルを排除していく。砂の
上であれば放り出されても大事はないが、落ちた場所がワディなどの固い地面の上だったり
あるいは ラクダの蹄にかかったりすれば無事ではいられない。毎年死傷者が出るこのレースは、
だが優勝すれば王子の目に留まる。むしろ危険なレースだからこそ男たちの血を沸き立たせる
のだ。

 

 

 

第2王子、アリの居城はワディを抜けたところに突如聳え立つ切り立った断崖の上に立っている。
港の近くにある王宮からは100kmほど離れているが、ここからさらに西へ進むとウバールの軍事
施設がある。
アリは城内から、眼下で繰り広げられるレースを眺めていた。見晴らしのよいここからであれば
ワディの向こうの砂漠までよく見える。

「――砂嵐が、やってきますね」

ふと、傍らにいた青年が口を開いた。鮮やかな赤い唇から紡ぎ出される言葉はしっとりとした
艶を帯びていた。 少年といってもいいほど線が細い。色も白く、目鼻だちも繊細なラインを
刻んでいた。
だが、外を見ているにも関わらず、その両の瞼は閉ざされたままだ。

「砂嵐とは、ザイードを殺した奴のことか」


聞きとがめたアリは自分の胸ぐらいまでしかない青年を振り返った。
問われた彼は僅かに首を傾げる。何と言おうか困惑しているようだ。

「嵐は2方から来ます。一つは王宮から。そしてもう一つは第3王子の城から…」
「おまえの話はいつもよくわからん」

「だがまあいい。つまりそいつが刺客というわけだな――目障りな奴を殺ってくれた奴なら
俺にとっては天使と同じだ。ついでにあのいまいましい奸臣も消してくれていたなら
もっとよかったがな…だがザイードが死んだんだ。奴もどうすることもできまい。 」

レースの先頭がワディを抜けた。最初は5、6頭だったが、こちらに来る度に確実に
数が減っていく。遠目でも目をひく一騎がいた。黒衣に身を包んだその青年は
他の大柄の男たちに比べると幾分華奢に見えた。他の競技者たちもくみしやすいと
ふんだのだろう。依ってたかって彼をラクダからひきずり落とそうとする。

アリは目を見張った。黒衣の青年の細い腕が男の頑丈な腕を掴むと、あっというまに
男をラクダからひきずり落としてしまった。だった腕一本でだ。別の者がおどりかかる。
またもや引きずり落とされた。たいして力もなさそうなのに、一体どんな魔法を使っている
というのか。

だがそうこうしているうちに最後の一騎が刀を振り上げた。レースで武器を使うのは
もちろんご法度だが、完全に我を忘れているらしい。

さてどうなるかと見守っていたアリはあっと声をあげた。
黒衣の青年が、暴走するラクダの手綱を右手に持ち、鞍の上に立ち上がった。
長剣の切っ先を難なくかわし、剣を持っている相手の手首を蹴り上げる。返すもう一蹴で
男をラクダから蹴り落とした。

対抗騎を一掃して城門に辿り着くその一騎に、アリは完全に目を奪われていた。
灼熱の砂漠に一陣の風のように舞いこんできた青年は、城の一室を迷いなく見上げる。
アリと目が合った。
距離があるにも関わらず、その漆黒の瞳に釘づけになる。

自分でも知らず、ただ見つめ続ける王子の側で、盲目の青年はそっと呟く。

「黒い天使がやってくる…」

自分たちに運命をもたらすために。
この嵐を避ける術はない。なぜならアリ自身が、すでに捕らわれてしまっているから――

堅固な城門は、レースの勝者を厳かに迎え入れた。

 

 

 <アサシン部屋