22
「サラーム、アーサー・ブラッド少尉。こんな形で会うのはいささか残念だが」
捕えられた高耶は武器を奪われ、後ろ手に縛られた上で王宮の奥の部屋に連れてこられた。
絨毯を敷きつめた広間の上座には、ウバールの第一王子、アブドゥル・イブン・ハマドが座って
いた。クッションでしつらえた座にゆったりと座り、左腕は脇息に預け、右手でコーヒーカップを
持っている。上等な豆の馥郁たる香りが部屋中に満ちていた。
やや痩身だが、貧弱には見えない。手入れの行き届いた形のよい髭をたくわえた細面の顔は、
彼を預言者のようにも見せている。王族としての風格や威厳も他の王子たちよりはあるだろう。
だがそれでも彼が他の後継者候補に対して水をあけられなかったのは、現在高耶を見下ろして
いる、預言者とはほど遠い、狡猾そうな眼差しゆえではないのか。目の前の人間を常に値踏みし、
何に利用できるかを考えているかのような鋭い切れ長の瞳は、部下に信頼感よりも警戒心を
抱かせそうだ。
アブドゥルは手を振って、高耶を連れてきた部下たちを下がらせた。後にはアブドゥルと高耶、
そしてもともと部屋にいた二人の衛兵が残された。
「怪我をしているようだな」
「…あんたが雇った『蛇サソリ』にやられてな」
「ほう。きみと同じサソリか」
高耶はアブドゥルを睨みすえた。高耶に襲いかかったあの東洋人――左腕の上腕に刺青を
していた。蛇とサソリが絡み合ったそれは、高耶もよく知る暗殺組織のものだ。
「しらばっくれるな。おまえがあいつを雇って王を殺させたんだろう。よりによって最も残虐な、
みせしめのような殺しを請け負う奴らに頼みやがって。仮にもおまえの親父だろう・・・ッ!」
左腕に激痛が走って、高耶は顔を歪めた。いつのまにか側にきたアブドゥルが、高耶の左腕、
それも傷口の上をまともに掴んだのだ。まともに止血もしていない傷口がまた開くのを感じる。
苦悶に顔を歪める高耶を、アブドゥルは珍しい動物を前にしているかのように、ひどく愉しげに
眺めていた。
「すばらしい意見だ。りっぱだよ、まったく!とても殺し屋のせりふとは思えない」
アブドゥルを身据える高耶の瞳が獰猛になる。
「オレは私欲のために殺しはしない」
「国のためか。だが国は欲得で動く。同じことだ。イギリスは中東から撤退するといいながら、
ずいぶんとあちこちに働きかけているじゃないか。石油が出るというだけで、こんな砂漠の
小国すら放っておかない。きみたちはハイエナか」
「その小国の王位のためにイギリスの支援を受けたがっているのはどこの誰だ。足がつかない
ようなところから殺し屋を雇って邪魔な兄弟を殺し、なかなか死なない国王を始末して
全てをオレのせいにして口封じを――ゥアアッ・・・!」
滲み出る血は、腕を掴んだアブドゥルの右手までをも真紅に染めていく。
「きみは確かにいい腕をしている。まったく、殺すには惜しいほど」
アブドゥルの表情はとても静かだった。目の前の高耶の苦悶も知らぬげに。
――いや、目だけは哄っていた。声を殺して必死に耐える高耶の表情を、この上なく愉しげに。
彼の両の黒の瞳だけが、まるで蝶の羽根や蟻の足をもいで喜ぶ子供のように、無邪気で残酷な
光を湛えていた。
「いずれも一撃だ。唯一毒を使ったザイードも抵抗した様子もなかったしな。即死だから大して
血も出ない――だがそれでは物足りないのだよ 」
驚く高耶をよそに、アブドゥルは腰にさしていた三日月刀を抜くと、高耶の黒衣を一気に引き裂いた。
「ほう…誰にやられた。それともおまえも同じ嗜好か?」
露になった身体には未だに鞭や縄の跡がうっすらと残っている。
含みのある言葉に高耶は不快げに眉を寄せた。
それでも身動きがとれない高耶の左袖まで切り裂き、腕の傷口を露にする。そこは見るも無残な
状態になっていた。だがアブドゥルの手は容赦なく伸び、開いた傷口に爪を立てた。
「ア――アアアアア――ッ!」
「そう、その表情がみたいのだ…人間の苦しむ表情、断末魔の声、吐き出される血――どれも
愉快でたまらない。どうせ殺すのならもっと楽しませてくれればよいものを。
いずれにしろ、君には死んでもらうよ、ブラッド少尉。君の言うとおり全ての罪を背負ってもらう。
イギリスにこれ以上借りはつくりたくないのでね・・・せいぜい、君自身の死で楽しませてくれたまえ―― 」
あまりの激痛に声も枯れ果て、高耶は失神寸前だ。だから気がつかなかった。
アブドゥルは三日月刀を高耶の脇腹に当てる。脇腹を刺せばすぐには死なない。王子の両眼は
愉悦に輝いていた。
脇腹に熱い痛みを感じ、視界が暗くなる。
意識が闇に飲まれる寸前、一発の銃声を聞いたような気がした――