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アブドゥルの手から刀が落ちた。不意に襲った激痛に感覚まで麻痺してしまったかのように、
呆然と己の右手を見る。手は真っ赤に染まっていた。どす黒い血が後から後から溢れ、上等な
絨毯に血溜まりをつくった。
振り返るとそこには、銀色に光る拳銃を手にした男が、冷えた鳶色の瞳でアブドゥルを見ていた。
白の長袖長衣の上からでも鍛え抜かれた体躯がよくわかる。腰にまいた飾り帯の上から
三日月刀を下げている。白の頭布をイカールで留めているその立ち姿には、いつもながら
一分の乱れもない。
「…おまえか、アジュラーン…」
「それは、あなたのものではありませんよ、兄上」
かつて弟の側近だった男の言葉に、アブドゥルは耳を疑った。だが目の前の男は薄く笑っている。
「何をばかな…」
「あなたが派手にやってくれたおかげで、親子の名乗りもあげずじまいでしたけどね。
だがそのことについては別に何も思ってはいない。それ以前から、国王を何とか自然死に
みせかけて殺そうと、食事に砒素を盛らせていたことも。そうまでして王位が欲しいなら
くれてやってもよかった。私が、今まで何のために城に閉じこもっていたとおもいます? 」
再び、銃声がした。アブドゥルは血で染まった左足を抱えてうずくまった。
「あなたにチャンスをあげたつもりなんですよ。半ば無理やりここに連れてこられた身だ。
あのまま放っておいてくれればよかった。 身の安全を守るだけの地位さえ確保すれば、
あとは好きにすればいい。あなたのその嗜虐趣味にも関知しないつもりでした――もっとも、
あなたのような人間が王位につけば、一ヶ月もたたないうちに暴動がおきていた
でしょうけどね 」
言いながらもう一発撃ちこむ。今度は右手だ。
「・・・ッ・・・ではなぜ・・・だ」
イカールが転がり、頭布がとれて、短く刈った頭が剥き出しになった。芋虫のように転がりながら、
アブドゥルは必死に直江に顔を向けた。直江は微笑をはりつけたままだ。だが目だけは
笑っていない。淡い色の瞳の奥底には、ぞっとするような冷たい炎が燃えさかっていた。
「――兄上には感謝しなければなりませんね。物心ついた時から何に対しても執着を
もたなかった私に、自分の獲物に手出しをされる屈辱を教えてくれた 」
右足を撃ち抜き、直江は表情ひとつ変えずに、アブドゥルの額に狙いを定めた。
「さようなら、兄上」
五発目の銃声の後、部屋には再び静寂が訪れた。
転がる骸には目もくれず、その後ろに倒れている高耶に近づいた。
服を裂かれて半裸になった身体を検分する。脇腹に朱線がはしっていたが、こちらは
たいしたことはない。問題は腕だ。 出血がひどい。このまま放っておけば確実に
死ぬだろう。
飾り帯を抜いて、傷口の腕を縛った。抱き上げると意識のない顎が仰け反る。
無防備な表情で薄く唇を開いた高耶に、直江は優しいともとれる声音で囁いた。
「てこずらせてくれた礼は、後でたっぷりしてもらいますよ…高耶さん」