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ウバール王国第三王子、ザイードの居城は、王宮から1kmほど北にある。
その規模は、王宮を見たことのない者ならこれがそうかと思わせる程度には
りっぱなものだった。澄み渡った青空にその白い建物が佇む様子はいっそ
優美だ。屋上からは南には王宮と城下町、北には広大な砂丘が地平の果てまで続く。
しかし城の警備は厳重で、銃を背にしょった衛兵たちが城壁に沿って点々と立っていた。

「――王子。アブドゥル王子から使いの者がお目通り願いたいと」
「何。用向きは」


執務室で書類の決裁をしていた人物が振り向くと、入り口にいたものが恭しく
礼をし、先を続ける。

「先日の内輪での宴、ご病気で辞退されたでしょう。そこでお見舞いにと、
宴に呼んだ踊り手達をよこしたようです」

淀みのない側近の言葉に、王子は困惑する。
アブトゥル王子はうわべはどうあれ、個人的に弟の見舞いをよこすような人間ではない。
何か裏があるのではないか――だが、こんなときの判断は自分には難しい。
第三王子ザイードは、助言を求めるように 側近を見た。
いかなるときも沈着冷静なその男は、安心させるように微笑んだ。

「よかったではありませんか。兄王子様の初めてのお見舞い。無下にしては申し訳が立ちませぬ」

この男の言葉も、決して笑っていない薄い色の瞳もとても本心からそう思っているとは思えない。
だが他でもない、「この男」が言うのだから。
王子の心は決まった。

 

 

 

日没の礼拝の後、王子の夕食の席で余興を演じることになった。
王宮で宴が催されたあの広間よりは幾分小さい部屋だったが、王子一人が夕食
をとるには大きすぎる広さだった。床には豪奢な絨毯が敷かれ、一段高い上座には
この城の主が脇息に凭れてゆったりと寝そべっている。ザイード王子は丸顔で、
やや小太りの男だった。一見すると人はよさそうだが、いい意味でも悪い意味でも、
上の二人の王子のようなアクはない。おとなしすぎて目立たないのだ。
めったに人前に出ないと聞いたが、それは小心者ゆえか。


この城の内外の警備は、下手をすると王宮より厳重だ。そこまでしてなにを恐れるのか、
あるいは何か後ろ暗いところがあると邪推したくもなる。

ザイードはハマドが英国留学中に知り合った女性との間にできた子供だという。母親が
外国人でしかも後宮に入ろうとはせず、その子供を王子として認めるかどうかで
すったもんだがあったらしい。結局10年前に正式に迎え入れられるまで、ずっとイギリス
で育ったという、変わった経歴をもっていた。もちろんイギリス滞在の間の資料は目を
通している。

団長が口上を述べる間はひたすら平伏しながら、高耶は今ひとつ腑に落ちなかった。
こうして会ってみても、なぜハマドがザイードを迎え入れたのかがよくわからない。上の
二人の王子に比べて、彼は明らかに指導者の器ではなかった。誰かの補佐としてなら
そこそこの手腕は発揮できそうだが、 自分から部族をまとめていくというタイプではない。
それとも、理屈を超えた父親の愛情ゆえか。母親はザイードが3歳のときに他界している。
事故死ということになっているが、おそらく暗殺だ。だがザイードは明らかに父親似だった。

余興が始まった。演目は先日と同じ、ハジト族の民族舞踊だ。高耶は再び横笛を吹く。
ハサンに言われた時は面食らったが、「任務」でアラブに来るのはこれが初めてではない。
少々手ほどきを受けたことがあるという程度だったが、何でも身につけておくものだな、
と高耶はおもう。

踊りが中盤にさしかかり、少しずつテンポを上げながらそれとなく王子を観察していた
高耶は、先日の宴で受けたものと同じ、あの視線を感じて、表情を強張らせた。

(まさか・・・)

俯いたまま、そっと周囲を見回す。視線の主は、すぐに見つかった。口上の時にはいなかった
男が、いつのまにかザイードにもっとも近いところで自分を見ていた。
それは紛れもなく、先日高耶を見ていた男だった。
目があって、高耶は笛を取り落としそうになる。必死で平常心を保ち、演奏に集中しようと
した。

(なんであいつがここに・・・!?)

あの位置に座しているということは、あの男はザイードの側近か何かだろう。アブドゥルは
知っていたのか?いや知るはずがない。アリも側近がいるとわかっていてあんなことを
口にするはずがない。

動揺を隠しながら、踊りはクライマックスを迎える。踊り手達が床に伏すと同じに歓声が
あがった。ここでもやはり、普段より露出度の高い女性を見られることが何より喜ばれる
らしい。

だが踊り手より高耶をじっと見ていた男がすっと立ち上がって上座のザイードに近づいた。
そして何事かを耳打ちする。高耶は気が気ではなかった。ここで不審者として告発されれば
逃げ道はない。黒の頭布に隠れた額から、じっとりと冷たい汗が流れた。

王子と側近はしばらくひそひそと話していたが、やがて男がこちらを振り向いた。
低音のよく通る声でねぎらいの言葉をかける。

「見事な舞いであった。このところ御気分のすぐれなかった王子も久々に心楽しめるものを
ご覧になったと仰せだ。アブドゥル王子にはお心遣い感謝する旨、申し上げてくれ 」

使者と団長が左胸に手を当てて、礼をする。

「――ところで」

と口調を変えて言葉を継いだ男の声に、高耶は身を強張らせた。側近の男の目は真っ直ぐ、
自分を見ている。

「踊りも見事ながら、後ろで素晴らしい笛の音を聞かせてくれたその青年は、同じハジト族の
出身ですか?」
「はい」

団長に答えられるわけがない。保身のためにあらぬことを口にする前に、高耶が答える。
その返答に何を思ったのか、側近は薄く笑った。

「今の踊りには男舞もあると聞きます。めったにない機会ゆえ、是非ご覧になりたいと
王子は仰せです」

(こいつ…!)

思わず睨みつけそうになるのを堪えて、顔を伏せた。

「さて…わたくしは踊りは不得手ゆえ、男舞をご所望とあらば、ここの二人が披露できると
存じますが」

ここの二人とは、団長と太鼓手だ。ハジト族の男舞は二人一組で踊る。だが笛はともかく、
太鼓がないとリズムはとりにくい。困ったことを・・・とおもいきや、相手は鋭くその点を
指摘してきた。

「太鼓がなければ踊りにくいだろう。ハジト族であればハジトの踊りは皆踊れるはず。
下手でもかまいません。あなたの『ハジト族の男舞』をぜひみせてください 」

穏かな、しかし有無を言わせぬ男の口調に、高耶はこの城の実権を握っているのが誰か
を悟った。

(そういうことか…)

器のない主でも、側近に力があれば勢力は成り立つ。 そして確かに、この男は無能では
ないようだった。ここで舞を踊れなければ、高耶は身分を偽ったことになる。彼は明らかに、
高耶を疑っていた。

(だがまだ疑いだけだ)

踊ってしまえば疑惑は晴れる。
意を決し、当惑顔の団長を促して、高耶は立ち上がった。




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