「・・・おい、正直に言えよ。昨日家で投げたろ」
「な・・・投げてませ・・・」
「嘘つけ!」

いきなり大きくなった阿部の怒声に、三橋はヒッと飛び上がった。
本当は後ずさりたかったのだろうが、逃がさないとばかりにしっかりと右手を掴まれていてかなわない。

「ごまかしたって手ェ見りゃわかるんだよッ、一体何球投げたんだよ!」
「ちょ、ちょっとしか・・・」
「ちょっとでこんな手になるかっ」
「バ・・・バケツ 一杯 だけだ よっ」
「バケツ一杯って、20個は入るだろ、このバカ!」

鬼の形相をした捕手と、ぐりぐりとウメボシをお見舞いされて悲鳴をあげている投手を、チームメイトたちは朝のグラウンド整備をしながら遠巻きに眺めていた。毎度おなじみの光景なので、だれも仲裁に入ろうとはしない。これまでに何度説明したかわからない「なぜ家で投げてはいけないのか」をとくとくと諭す阿部の言葉に三橋は涙目でコクコクと頷いている。

「わかりゃーいいんだよ。もう二度とすんなよ」

阿部はひととおり説教を終えると、さっさとグラ整すんぞ、と三橋に背を向けた。
そうして離れたところでトンボをかけるその顔は、未だ眉間にシワがよっていて、口はへの字に曲げられている。
これ以上怒っている顔を見せないように、三橋に背を向けながら、阿部は小さくため息をついた。

(はー、ちょっときつく言い過ぎたかも)

間違ったことは言っていない。ただ球数のことで怒るのはこれが初めてじゃないから、自然と語気が荒くなってしまう。怯えさせたいわけじゃないのに。

(こういう時、あいつが何考えてるんだかさっぱりわかんねぇ)

もっと仲良くなりたい、と言われて一緒に眠ったあの夜、確かに近づいた、と思った。
男二人が寝るには狭いベッドから、案の定というか三橋は一回転げ落ちた。ドスンという音に飛び起きた阿部は、ベッドの下でぐーすかと寝こけている三橋を引きずり上げ、怪我がないかを確認した後、がっちりホールドしたまま眠ったのだ。寝返りをうつのをことごとく阻止された三橋も、阻止した阿部も、どちらも寝られないかと思ったら、いつのまにか朝までぐっすり眠っていた。腕の中の体温が思いのほか心地よかったからかもしれない。ヤロー同士で手を繋いだり抱き合って眠ったり、普通じゃ考えられないことだけれど、その時にはなぜか抵抗がなかった。手を繋ぐと妙に安心した顔 をしたし、三橋がもう一回ベッドから転げ落ちるよりはマシだったから。

だけど、一夜明けてみれば、相変わらず言葉が通じないし。あれは夢だったのではないかと思うくらい、二人の関係は変わっていない。

今だって――とトンボを片付けようと歩きかけて、くるりと阿部が振り返ると、三橋がビクッと固まって、視線をそらした。それにまた背を向けて歩き出し、しばらくして振り返ると、遠巻きについてきた三橋がまたぴたっと止まった。

(ああもう、なついてんだかびびってんだか、わけわかんなくてイライラするー!)

再び背を向けて、今度は振り返らずにずんずんと進むことで、苛立ちをなんとかこらえる。後ろで焦ったようにぱたぱたと追いかける足音がした。
少なくとも嫌われてはいない・・・と思いたい。


 

水曜日はミーティングのみの日だ。帰り支度をする阿部に、三橋が「遠巻きに」寄ってきた。
何か言いたげに口をパクパクさせるのに「何だよ?」とたずねると、しばらく「あのっ・・・あのっ・・・」と口ごもった後、

「あ、阿部君は、この後、何するの、かなっ」

と聞いてきた。特に何も考えていなかったので、

「あー、特に何もねぇけど。家で次の練習試合の配球でも考えっかな」

と答えると、三橋はさっきよりも赤い顔でそわそわとしだした。
こういう時は、何か言いたいことがある、というのはわかる。

「投球練習はだめだぞ」

待っていてもイライラするので、言いたそうなことを先回りして言ってみると、三橋は「ち がくてっ」とぶんぶんと首を振った。
そうか?そのわりには一瞬肩落としてなかったか?
疑う阿部の顔つきがしだいに苛立ちをにじませはじめ、おもわず拳を握り締めたとき、

「オレッ・・・阿部君の 部屋にっ、行き たいっ」

ものすごく真っ赤な顔をして、お願いをされたのだった。

 

 

三橋が阿部の部屋に来るのはこれで二度目だ。
しかしこの間は夜遅かったので、部屋にあがるなりさっさと寝てしまった。
今回はまだ時間も早い。何か話があるのかとも思ったが、単に阿部の部屋に来たかっただけらしい。
「は 配球 考えてて いい よっ」と言う三橋になんだかなとおもいつつ、阿部はじゃあこれでも読んでろと先日買った野球雑誌を渡し、隣でデータを片手に配球を考えはじめた。

西日が斜めに射す部屋の中で、部屋の中で二人、ベッドに背を預けて、それぞれ違うことをやっている。
会話しようとしている時よりも、こうして黙っている時の方が、心が通じ合っている気がするのはなぜだろう。
ボール磨きをしている時。爪の手入れをしている時。投球練習の時の高揚した気持ちとはまた違った、穏やかな時間が阿部は好きだった。

配球を考えながら、ふと隣を見ると、いつのまにか三橋がじっとこっちを見ていた。
普段目が合わない奴にじっと見られると、なんだか不思議な気分になるな。
とおもったら、こちらが見ていると気づいた三橋は、遅まきながら慌てて目をそらした。
何だよ、と阿部は目を眇めたが、

「あっ・・・阿部君は、配球 とか 考えるの おもしろい?」

三橋がたどたどしく聞いてきた。

「おお、キャッチャーやっているくらいだしな」

もちろんキャッチャーの魅力は他にもあるが、試合の作戦を考えたり各打者を攻略したりするのは阿部の性に合っている。

「キャッチャーなら みんな そう」
「さあな。でも考えるのが嫌ならやらないんじゃねぇ?」
「そ・・・」

三橋はうつむいてしまった。沈んだ顔で何を考えているのか。三年間サインを出してくれなかったキャッチャーのことか。
阿部は夕日に照らされた蜂蜜色の髪に手をのせると、くしゃくしゃとかきまわした。
ウメボシしていたときには気がつかなかったが、こうして触ってみると意外に心地よかった。細くて柔らかいくせっ毛は、なぜか監督の飼い犬の触り心地を思わせる。
気がつけば、ずいぶん長い間触っていたらしい。阿部の手の下で、三橋が赤い顔をして落ちつかなげにキョドキョドしていた。

「あ、悪ィ。触られんの嫌だったか?」

慌てて手を離すと、三橋はぶんぶんと首を振った。

「うっ、ううんっ、触られるの、気持ちいい よっ」

そう言って、もっと触ってといいたげに頭を差し出してくるので、阿部はそれをむげにもできずに再び手を載せた。
触られるのは本当に好きらしい。撫でている手の下で、しまりのない顔がフヒッと崩れる。
あんまり嬉しそうな顔をするものだから、いつまでも撫でてやっていたら、体が不安定にぐらぐらと揺れだした。
ぎょっとして、俯いた顔をのぞいてみれば――なんと三橋は座ったまま寝ていた。

「信じらんねぇ」

撫でられているうちに寝るなんて、ホント犬みたいな奴。
仕方なくベッドに寝かせてやったが、寝ぼけ眼でむにゃむにゃと何か言って、また寝てしまった。
寝るなら家に帰って寝ろと言いたいが、これだけ幸せそうな顔で眠られては、起こすのも忍びない。
布団をかけてやって、背を向けようとした時、手をつかまれていたことに気づいた。

「おいコラ」

本当に寝てんのか、と疑いたくなるような握力で、握った手を離さない。
阿部は諦めて、三橋が寝ているベッドの上にデータとノートを置いて配球を考えることにする。

配球を考えるのは楽しい。球種やコースが自在な三橋で配球を組み立てるのはおもしろいし、ワクワクする。
阿部は三橋の寝顔をながめた。
しっかり握られた手は、肩を出させないために布団の中にもぐらせている。

「甲子園、行こうな」

布団の中で握った手に力をこめて言うと、三橋の寝顔がフヒッと笑った。

 

 

「はんぶんこ」 「ベンチへ戻れ」

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